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シカンダル (カシュミール・スルターン朝) : ミニ英和和英辞書
シカンダル (カシュミール・スルターン朝)[あさ, ちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

シカンダル (カシュミール・スルターン朝) : ウィキペディア日本語版
シカンダル (カシュミール・スルターン朝)[あさ, ちょう]
シカンダル(Sikandar, 生年不詳 - 1413年)は、北インドカシュミール・スルターン朝の君主(在位:1389年 - 1413年)。その治世、ヒンドゥー教に対する弾圧を加え、ヒンドゥーの寺院や偶像を破壊したため、「偶像破壊者」(Butshikan)と呼ばれた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160〕〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.133〕〔(Muhammad Qãsim Hindû Shãh Firishta : Tãrîkh-i-Firishta, translated by John Briggs under the title History of the Rise of the Mahomedan Power in India, first published in 1829, New Delhi Reprint 1981)〕。
==生涯==

1389年、シカンダルは父王クトゥブッディーンの死により、即位した〔Kashmir 〕。彼は王朝の創始者シャー・ミールの孫にあたる〔Kashmir 〕。
この時代はムスリムの聖者や亡命者が中央アジアからカシュミール地方に流入し、社会が大きく変容していた時代でもあった〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.183〕。これは中央アジアにティムール朝が成立したことが大きかった。また、ヒンドゥー教とイスラーム教のいくつかの特徴を結びつけた「リシ」と呼ばれるスーフィー聖者が興隆していた〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.183〕。
一部は聖者らの布教によって、また一部は下層民が力によってイスラームによって改宗した。シカンダルはイスラーム教の熱烈な信者であったため、この流れをさらに加速させた〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.183〕。伝承の多くは、これをグブラウィー教団サイイド・アリー・ハマダーニーの影響に帰結している〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.133〕。1393年にカシュミールにやって来たミール・ムハンマド・ハマダーニーも大きな影響を与えた。
シカンダルはバラモンに激しい迫害を加え、彼はヒンドゥー教徒にムスリムになるか、カシュミールを出ていくかの、二つに一つの厳しい選択を迫った〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.183〕。ヒンドゥー教徒の寺院は破壊され、金銀の偶像は溶かされて通貨にされた〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.183〕。ヒンドゥー教徒は改宗するか、カシュミールから逃げるか、あるいは両方を拒んで殺されるものが続出した。これらの命令は王国の大臣でヒンドゥー教からイスラーム教に改宗したスーハ・ハダの提案によるものであったという〔チャンドラ『中世インドの歴史』、p.183〕。
これら一連の行動により、14世紀末にカシュミール地方のイスラーム化が大きく進行した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.133〕。とはいえ、一連の行動は必ずしも在来の信仰を排除するためのものでなく、共存、あるいは融合する動きも含んでいたとする説もある〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.133〕。政権の運営にはヒンドゥー教とも多く参加しており、王族とヒンドゥー教徒との通婚もしばしば行われた〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.133〕。シカンダルは「偶像破壊者」の称号を帯びているが、それはムスリム王朝成立から半年たってもまだ、ヒンドゥー教の信仰が盛んであったことを示していると考えることもできる〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.133〕。
また、シカンダルは学者を手厚く保護し、西アジアから多くの学者がこの地へと移った〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.160〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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